南アフリカ公演「Japan Festival '99」から

(国際交流基金による)
日本週間'99 津軽三味線チャリティコンサート

公演レポート-2


参加者も決まり、いよいよ南アフリカ行きが近づくにつれて栄山師の不安はつのる。
服装の事や持ち物のことなど逐一竹勇に連絡をいれてきた。海外は初めてなのだから仕方がないのである。10日間の旅となれば、楽器や衣装など運ぶ荷物は相当なものになる。

10月9日


関西国際空港を18時に発ち香港まで3時間、それから南アフリカのヨハネスブルクまで14時間の長旅である。香港まではよかったのだが、そこで次の便の乗り換えまで3時間の待ち合わせがある。早寝の栄山、雲栄にとってはそろそろ寝る時間である。外に出ることもなく、空港内で一休みしていよいよ香港発23時50分の南アフリカ航空(キャセイ航空との共同運行便)の飛行機でヨハネスブルクに向かった。 

14時間のフライトはエコノミークラスの席ではたいへんつらいものがある。乾燥した機内は歌い手の雲栄師と純子さんには更につらいものがあった。マスクをしてのどを気遣い、ひたすら寝るようにつとめたが興奮してなかなか寝付けるものではない。乗り合わせたアフリカ人の子供が雲栄師たちを指をさして笑っていた。どうもマスクをしている姿が異様に映ったらしいのである。

それから問題は言葉である。香港までは日本人クルーが乗りこんでいたものの、これからの機内は全くの英語である。頼みの竹勇とも席が離れてしまったし、機内食やドリンクの注文にも「なもわからねえじゃ」この津軽弁とジェスチャーで何とか切り抜けたらしいが、いやいや最初からたいへんである。

途中、雲栄師が窓の外を見てビックリした。暗がりではあったが、かすかに大きな山が見えたのである。
「お父さん、お父さん、ほら見て窓の外サ、大きな山が見えるよ」「ほーアフリカにも岩木さんばりの大きな山があるもんだな」かなり大きな山らしい。しばらくじっと眺めていたが、一向に山が遠ざからないし形も変わらない。「よほど大きいんだびよんな」「うんだてばな」そのうち空が白けてきてよーくみたら、それは飛行機の翼であったのである。並んで座っていた家族で大笑いとなった。高度1万メートルの空にそったら山があるもんでねえ!

10月10日

明けて翌朝の6時50分ついに南アフリカのヨハネスブルクに無事到着した。
ヨハネスブルクはいま世界でもっとも治安の悪い都市であることは知られている。大使館でももっとも気を使ったのが治安の事であった。安全なホテル、安全なコンサート会場といくつも下調べが行われたらしい。

一行は緊張の中、空港内に出て荷物を待つことになるが、これがなかなか出てこないのである。
それに待つ間はアフリカ人にジロジロと見られて気持ちが悪い。(失礼なことかもしれないが実際にそうだった)そうだここはアフリカなのだ。ほとんどは黒人か白人でアジア人は珍しいらしい。
ここを出たところで大使館の文化担当官、N氏が迎えにきているわけだ。竹勇は皆を待たせて確認のために外へ出たが、そこには大勢のアフリカ人が出迎えのためたむろしていて、ひとり出てきた竹勇はその好奇な目の群集に恐怖を覚えた。やっとN氏を発見、日本人を見て安心したし、彼も私を見て「無事でしたか〜!」と安心していた。そして先生方のところへ戻ろうとしたとき、係官に捕まってしまった。ここを一旦出ると戻ることは出来ないのである。事情を説明するが疑いの目で見られ、ボディチェックまで受けて、やっと皆のところへ戻ることが出来たのである。

先生方にもN氏が迎えにきていることを告げるとほっとしたようだったが、長旅の上にかなり長い間待たされたのでは、まいってしまう。やはりここはアフリカなのだ。

やっと荷物を持って外に出ることが出来たが、出るとき、純子さんにいかがわしい黒人が近づいて何か誘っている。危ないと思い、大きな声で純子さんの名を呼ぶとその黒人は離れていったが、何か不気味であった。
外務省の海外危険情報でも「ヨハネスブルクは空港を出て10秒で被害にあう。」などと書かれてあったが、それはウソで、何と5秒でパスポートを盗まれたという被害届があったそうだ。ヨハネスブルクところはそんなところなのである。これには政治的背景があるものの、まったくえらいところに来たものだ。

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 山本竹勇・津軽三味線の世界