新春夢の競演
中国民族楽器の巨匠達

中国国際放送局(北京放送)提供

  昨年、中国国際放送局(北京放送)の日本語部で番組の制作・演出をなさっている原 連陽様より、私のホームページにメールをいただきました。2002年が中日友好30周年でもあり、新春特別番組として、中国を代表する民間音楽家・阿炳(あびん)と日本を代表する高橋竹山との「夢の競演」を企画したそうです。

  生年に10年ほどの差がありますが、両者とも同じ境遇を抱え、その辛酸も共通するものがり、なによりも片や二胡、片や三味線と、楽器こそ違え、独奏楽器たらしめた先駆者でもあり、同時に庶民の哀歓を掬い取り、それに自己の心情を盛り込んだ豊かな表現と音楽力ということで、奇跡的な共通点をもちます。
 
  私は今年の1月4日に放送されたものを短波で聴きましたが、状態が悪くて上手に録音がとれませんでした。ところが後日、原様が収録したCDを送ってくれたのです。この素晴らしい企画番組を是非ホームページで配信したい旨を伝えたところ快く承諾していただきましたので、特別に皆様にお届け致します。
 番組では他の楽器の巨匠達も放送されたのですが、時間の関係で両者の競演部分だけを収録しました。阿炳(あびん)は琵琶曲で、竹山はじょんから節の即興で競演しています。
 多少無理なミックス処理で原曲を損ねたように感じますが、そこは新春夢の競演ということで、いままで誰も為し得なかった素晴らしい企画を演出して下さった原様に心より拍手を贈りたいと思います。

それでは、下記のボタンをクリックして放送をお楽しみ下さい。
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阿炳(華彦鈞) 1893〜1950

最も著名な民族音楽家である阿炳は、幼い頃からすでに音楽の天才を発揮していました。歌もよく歌い、楽器も得意で、演奏できない楽器など一つもなかったと言われるほどです。作曲においてもずば抜けた才能のあった人です。中国民族音楽の代表曲が何曲もあり、たとえば「昭君出塞」は琵琶の代表曲ですし、「二泉映月」「聴松」は二胡の代表曲です。

 数奇な人生を生きた人でもありました。
 江蘇省・無錫の道教寺院の道士の一人息子として生まれました。母親は召使の身分であり、その上、再婚でもあったため周囲の嫌がらせや迫害により家を追い出されて若死にしました。阿炳がわずか3歳の頃のことです。

 20歳を過ぎた頃、父親を亡くしました。同じ頃から眼病を患い数年後に片目を失明します。父親の後を継いで道教寺院の道士をしていたのですが、盲目の道士など縁起でもないと、檀家が次々に離れて行ってしまいました。そこで彼は道士をやめ、芸人として生きる道を選びました。そうして35歳の頃、かろうじて見えていたもう片方の目も失明しました。

 「河原乞食」と日本でも言うように、同時の中国社会でも芸人は物乞い同様の者としかみなされていませんでした。しかしそれでも阿炳は喜々として歌を歌い、琵琶や二胡を奏でたのです。ユーモアのある人で、町で起こったことや新聞に載った事件などを面白おかしく歌にしたといいます。また、当時の混乱した中国の社会悪を憎み、権力者や軍人を風刺する歌をいくつも作り、庶民の喝采を浴びたともいいます。

声、泣き声、犬猫や鳥の声を自由自在に出してみせて周りの人々を驚かせたそうです。しかし自分の音楽には非常に厳しい人で、決して自分の演奏に満足をしたことがなかったといいます。

 天才の霊感は、新しい音楽のためのいろいろな創意工夫を生み出しました。「ニ泉映月」で道教音楽を取り入れて、従来よりも太い弦を使用したのもその一つです。当時の弦は糸でしたから今の弦よりもずっと制御が難しく雑音も出やすいのです。それなのに、彼が弾いた太い糸の二胡は少しも雑音がなく、重厚で力のある音色だったといいます。

 新中国成立後まもなく、彼は急死しました。惜しまぬ人はなかったそうです。


高橋竹山(1910−1998)

明治43年(1910)6月、青森県東津軽郡中平内村(現・平内町)字小湊で生まれる。本名定蔵。幼いころ麻疹をこじらせ半ば失明する。近在のボサマ(戸田重次郎)の内弟子となり三味線と唄を習い、東北から北海道を門付けして歩いた。

昭和19年(1944青森県八戸盲唖学校に入学し、針灸・マッサージの免状を取得。戦後は津軽民謡の神様と言われた成田雲竹の伴奏者として各地を興行、竹山を名乗る。この間、雲竹、竹山の名コンビにより津軽民謡の数々を発表。(りんご節、鰺ヶ沢甚句、十三の砂山、弥三郎節、ワイハ節、津軽願人節等は二人の作による。)昭和39年に独立、独自の芸域を切り開いて津軽三味線の名を全国に広く知らした。

昭和50年、第9回吉川英治文化賞、第12回点字毎日文化賞を受賞、昭和58年には勲4等瑞宝章を受ける。東京渋谷にあった、「ジァンジァン」でのライブは多くの若者の心を捕らカ、フランス等、海外公演でも高い評価を受けた。1998年2月5日、全国のファンが惜しむ中、享年87歳の生涯を閉じたが、高橋竹山の哀愁のある魂の音色はいつまでも人々の心の中に響きつづけている。

番組はとても好評で、北京放送リスナーの方から多くの手紙が寄せられたそうで、
「やはり竹山はいいですね」という方も多くいらっしゃったようです。
また、次回は「阿炳と竹山」という企画も考えていらっしゃるそうで今から楽しみですね。


山本竹勇・津軽三味線の世界